さぁて!!!日曜日!
EDWINA HORL と 参りましょう!
思考は言語で仮装する。すなわち、衣装の外形から内にある思考の形を推測することはできない。
なぜなら、衣装の外形は、体の形を示す目的とはまったく違った目的でデザインされているのだから。
「タオイストたちの言無言yan wu yan:語を発せずして話すこと」
私達は、日々や、互い同士でも、”言葉を介さずとも十分に語れる”ということを、彼ら(道家)から学ばなかっただろうか。
たとえば、愛し合うとき、絶えずなにかを言うことでつながりを求め合うが、
実際には何かを「言っている」わけでも「意味」のあることを言いたかったわけでもなく。
夜になれば、その言葉たちさえも記憶に残らない程小さく無価値になっていくものではないか。
しかし「くちはきかずともはなしたことにかわりない」というようなこともある。
探り合う間にしゃべる欲望がなくなり、明らかな合図で訴える欲望もまた無くなっていく。
そして沈黙、 無言は雄弁ではない・・・
出典:フランソア ジュリアン 『普遍性、単一性、共通性と諸文化間の対話』、ベルリン メルヴェ社、2009年
[Original: Francois Jullien, De l'Universel, de l'uniforme, du commun et du dialogue entre les cultures.]
Paris: Fayard 2008
『 Edwina Hörl 』
オーストリア・ザルツブルク生まれ。
1991-93年、Yohji Yamamoto [東京] にてアシスタントを経験ののち、
1996年、オーストリア・ウィーンにて、自身のブランド [Edwina Horl] を開始。
2000年、東京に本拠地を移し、コレクションの発表を続ける。
Edwina の考えるファッションは [適用性] である。
そのイメージは単なる服のかたちから生まれるのではなく、服を着たときにつくられる立体感や着る人の体つきか ら表れるアイデンティティから成る。
コレクションをつくるにあたって、彼女は異なる要素のものを独自に繋ぎあわせる。
-試しにつくったドレープ、色々なルーツをもつ古典的でトラディショナルなパターンへの新しい捉え方、歴史を感じ させるような記憶、どういう風にものごとが扱われているかが見て取れる日常のなかで私たちはどう在るべきか- こんなふうにあらゆる思考がうまれ、多くの表現をもつ様々な素材と混ざりながら Edwina Horl の服が完成していく。
" schön schweigen "
沈黙 美
9/8 (SUN) , スタート。
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